娘が2歳を迎えた日、二人だけでお祝いをした。
気に入ってくれそうな果物をたくさん用意したけれど、ちょっぴり体調を崩してしまっていた娘は
ヨーグルトの方が食べやすいようだった。
娘は誕生日の数日前、明け方に発熱してしまった。
私はその日仕事をするつもりで、娘は保育園に預ける予定だった。
39度の高熱で泣いている娘を見ていて辛くなり、
動揺したものの、「こんなこと、片親で乗り越える試練のまだまだ序盤だよな」と思った途端、
かえって冷静になった。
朝を待って、雨の中、娘を抱きしめて徒歩すぐの小児科へ行き、
とても手厚く診てもらうことができた。
別居後、新たな土地で信頼できるかかりつけ医(それも一番近い)を見つけられたと感じ、
何か本当に救われたような気がした。
夫にカウンセリング受診を促すLINEを送信したところ、
「自分は傷ついている」「自分が何を言ってもあなたには“威迫”“精神的負担”と捉えられてしまう」「そもそも、そうした点でも価値観が合わないのだと思う」
といった内容の返信があった。
怒りを通り越して、「この男はこの期におよんでまだそこにいるのか」と愕然とした。
これがこの男のやり口なのである。
客観的事実として、複数の専門家の意見(=精神的虐待である)や医師の診断書(=夫の精神的虐待による適応障害を発症している)などを並べても、まだ「信じず」、
あくまで「私の受け取り方の問題」と片付けようとする。常套手段の「責任転嫁」である。
自分を守り続け、自分の非を認めることができない。
この言葉を私は慎重に扱ってきたが、
もう遠慮をしないで使うことに決めた。
夫は間違いなく、自己愛性パーソナリティ障害の特性を持っている。
DV加害者の多くは、その特性を持っているという。
しかし、私自身、そんな人間をパートナーに選んだとは信じられなかった。
だから関連書籍を何冊も読み、専門機関の相談員やカウンセラーにも確認した。
しかし、返ってくる答えは同じだった。
やはり事実だったのだ。
そして、これまで感じてきた夫への違和感はすべて、その特性にぴったりと合致していた。
この特性を持つ人間は、親密な関係(パートナーシップ)を健全に築くことが難しいということも知った。
本人が自分の加害性を認めない限り、根本的な改善は望みにくい。
自分の加害性を認めず、相手の責任にし続けることで、自分を保つことが彼らの特徴である。
親密な関係でそうしたことが行われると(ガスライティングという)、相手は静かに壊れていくしかない。
その構造を知ったからこそ、私は逃げたのだった。
どうして自分は、こんなに特異な特性を持つ人間を選んでしまったのだろうか。と、あれから何度も責めた。
夫と私に本質的な違いがあるとすれば、それは夫のいうような「価値観が違う」という問題ではない。
私は「自分、そして相手と誠実に向き合う」ことで関係を維持しようと努めたが、
相手はそもそも、「自分に向き合えない」という性格構造だったのだ。
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