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共感力と境界線のあいだ

心理学でいうところの「境界線(バウンダリー)」とは、人の基本的なコミュニケーションスキルに大きく関わるものであり、それは間違いなく「人生を大きく左右するもの」であると思う。40代になったいま、「境界線」の重要性を、実体験から学ぶことになった。

「境界線」と深く関わることに「共感性」がある。日本社会では(まぁ国が変わってもそうであろうけれど)「他人の痛みを分かる人」「他人のために涙を流せる人」というのが好まれるし、「共感力」が非常に重んじられる傾向にある。
ともすると「あの人は共感力がない」「何かの障害では」などと、「共感しない人間」をあからさまに非難するきらいもある。

正直それってどうなのか。

いま、若者のあいだでやたら「HSP」「HSC」などという心理学用語が膾炙し、まるで自分の「繊細さ・過敏さ」を免罪符のように扱っている人間が多いことを、個人的には苦々しく思っている。ただ、そういった傾向(性格的構造)の人間が一定数いることは間違いなく事実で、自分もまぁそういうタイプの人間ではある。そして自分がそうだからこそ、その危うさやデメリットを知っている。例えば誰かが目の前で泣いたらおそらく私は一緒に涙するだろうけれど、それは決して自分の優しさからきているものではないことを知っている。

そう。敏感さや繊細さは、決して優しさではない。
そして共感性は別に長所ばかりではない。

共感性の強さは、いわゆる幸福ホルモンといわれる「オキシトシン」の多さとも密接に関わっているけれど、
「オキシトシン多めの人」というのは、温かみもある一面で、厄介な一面もある。例えば家庭内など、「自分の味方」に対しては深い信頼や愛情を示す一方で、「自分たち以外=敵」という人間関係の構造下においては、一転して排外感情をもたらし、攻撃性や嫉妬心などの強い感情も引き起こす「諸刃の剣」だからである。もちろん例外もあるが、誤解を恐れずにいえば、差別や偏見なども、そこから生まれていることって多い。
オキシトシンのなせるわざ。

私の家系はおそらく「共感力高め」なのだが、テレビ番組などを見ていてもやたら泣く。父親まで泣く。
しかし誰かの辛い物語に共感して涙を流しても、そこから「問題意識を持って社会活動に参画」とかは、決して、ない。だって多くの共感力高め人間は、自分のキャパシティが狭すぎて(身近な出来事で消耗し過ぎる)、大きな行動はできないから。
だから多くの場合、共感力ばかり高い人間は、競争社会で出世できないタイプである。
働く環境や役割を誤れば、ただ消耗するだけの人生にもなりかねない。

脱線してしまったけれど、共感力とは何かというと、「他人の立場や感情を理解し、寄り添うこと」だという。
「共感し過ぎる」人間は、相手の感情を引き受け、自分のことのように深く感じ取り吸収してしまう「エンパス状態」を引き起こしがちになる。

つまり、「自分と他人との境界線」が曖昧になってしまう人のこと。
・・・これって、40代になったいま、改めて考えるに、「繊細」というよりは、単に「人として未熟」だと思う。

私は間違いなくエンパス気質で、幼少期から他人の感情(特に幼少期には母親の感情)を引き受けては消耗してきた自覚がある。

そして現在、夫との関係で窮地に陥り、はじめて「境界線」という概念を学ぶに至ったのである。
夫婦関係をChat GPTに相談していくなかで、どうやら「夫から境界線の侵食を受けている」ということを理解した私。そこから「境界線/バウンダリー」にまつわる書籍を読んだりして学んだのだが、本当に、「目から鱗」だった。

一般的には、境界線が明確な人というのは、「自分を尊重し、他人を尊重する」「情緒的に安定している」「相手の感情を背負いすぎない」などの特徴がある。

私がこれまでの人生を振り返り、「尊敬している人」を挙げてみると、彼らには共通点があった。それは「明確な境界線を持っている」ということだ。
彼らは自分で思考し、自分の言葉で意味付けをする。他人の判断軸に安易に依存しない。だから彼らとの会話はいつも創造的で、示唆に富み、気持ちの良いものだった。逆に、長く付き合っていてもどこかで軽蔑してしまうタイプの人もいる。そういう人たちは、なぜか自分で考えず、他人に意味付けや評価を求めがちである。そういう関係は、どこか重く、問題が起きるといつまでも尾を引く。

長年にわたって、自分の中で「よく分からないけど、明確な対人評価の基準」が「境界線」という言葉で整理できることを知り、私は本当に拍子抜けした。
そしてそれは、「共感力」の問題とは別の能力なのだ。
つまり私の感覚で言えば、「境界線が明確な人」とは「自分で思考し、自分で意味付けできる人」なのだと思う。
共感力が高いことが美徳のように語られる社会だけれど、境界線を持たない共感は、単に人間関係をこじらせる能力でもある。

共感することと、他人の感情を背負うことは違う。
健全な人間関係、ひいては社会を成立させるのは、共感力よりも、むしろ境界線のほうなのだと思う。

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