
今週末に、カウンセリングを予約している。
もともとは夫婦関係の修復に向けた夫婦カウンセリングを探していたが、
今回のことでつながったDV相談機関からは「夫婦カウンセリングについてはあまり情報がない。そもそもの前提として(相手が変わることに)期待しない方が良い」と言われていた。「病気ならば治るが、DVをする人間というのは、性格だから治らない」とも。
DV案件に詳しい弁護士からも「我々は離婚する人の話を聞くのが専門なので、修復に関する情報がない」とのことだった。
インターネットで検索し、複数のカウンセリングオフィスへ相談をかねて問い合わせをしたところ、
信頼のおけそうなカウンセラーを見つけることができた。
というのも「夫婦カウンセリング」と銘打っているオフィスの中には、専門性や資格が不明確なところも少なくなく、
弁護士からも「まともな機関かどうかは大事」と言われていたので、
「臨床心理士または公認心理師の資格を持つこと」「DVに関する専門性が高いこと」などを条件に絞り込んだ。
ただ、今の段階で、私は修復を必ずしも望んでいない。
必ずしもというよりは、むしろ積極的に望んでいない。
しかし両親や義両親への建前として、修復を試みるという段階を踏むべきではないかと感じている。
これまでの私は、常に修復を望む側だった。
夫が「別れる」「対話しない」というのに対して、常に自分が悪いところを根本的に考え、反省し、
どうすれば関係を継続できるかを考えてきた。
そういう問題を乗り越えるのも、長い家族運営には必要だと思ってきたのだ。
しかし、これまでの関係を振り返る中で、そこには一定のパターンがあったのではないかと気づいた。
夫は共感性が低い。でもそれ自体は、私が距離を取った原因ではない。
夫は常に「私側」に問題の原因を求め(責任転嫁)、
起きた問題に対して強い感情をぶつけ、
私の「NO」や「苦しい」を受け止めず、
その帰結として対話そのものが断たれてしまう。
今回、8年間を改めて振り返り、夫のこうした言動のすべてが、一つの性格パターンによるものだと理解した。
私が口論のたびに強い違和感を感じてきた彼の言動は、
多くのDV加害者に見られる傾向として説明される特性と重なるものだった。
夫は「過去の恋人は、自分に合わないと感じたら、すぐに切ってきた」と言ったことがある。
また別の日に「以前付き合ってた人はメンヘラ気質で、“死んでやる”と繰り返して大変だった」とも。
ああ、この人は長年、このパターンで、自分の問題に向き合わず、相手を追い詰めてきたのだと、
今なら理解できる。
彼が多少自己中心的なのは初めからわかっていたが、それは長年独身でいたことの副作用だと思っていた。
共感性が少なくても、親切で紳士的で、倫理観に問題がなければいいと思っていた。
システム的に物事を捉える性質ゆえに、頼もしい部分もあった。
そして、家族ができれば変わるだろうとも思っていた。
実際、彼には変化もあった。
一緒に過ごす中で、少しずつ関係の中での振る舞いが変わっていった部分もある。
それを愛おしく感じたこともあった。
しかし今、その「歪み」が変えようのない核の性格であり、
彼にとって自然な世界のあり方なのだと気づいた以上、
私がパートナーとして人生をともにすることはできないと思った。
だから私は、修復作業なんてただの消耗戦になると、もう「知って」しまったのだ。
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